1番怖いのが、生きている念とも言われますが、第一弾では少しだけ入り口をお伝えしました。
これから、です、ます 調を辞めます。
ここで、ある事例をあげて説明することに。とある女性、20代後半。学校からのいじめ問題もあり、大学もいじめにあい、精神を病んでしまった。女性は、精神を自ら病む。なんで?いじめている人からの念?これが違う。第一弾では、いじめには、まち針のような鋭い針がグサグサ刺して行かれるから、心を病むと書いた。それはそうだあるが、上の女性は違う。いじめにあった悲しみや悔しさの念が、いじめた者にいき、それが自らに戻ってきた。と言う自分がはなたった念がブーメランの如く、それ以上に戻ってきた自分の念にやられた女性だった。
いじめにあった事のある人ならわかるだろう。相当辛くて、苦しくて、女性と話していても苦しくなるのもわかるくらい、苦しさを感じるが、それ以上に人を憎む心を感じる。それは周りの環境が作り上げてしまった感情。持って生まれた憎しみなどもあると思うが、辛い、辛い、辛い。こんな 陰な感情が自分を、痛める。結果、いじめにも会い、精神も病み、心が壊れる。
人を呪わなあなふたつとも言うが、人を呪うと自分に帰ってくるよ!の、典型的な 事例である。医者へ行っていただき、薬が必要になるか、周りで、カウンセリングを受けるべきである。真面目で大人しく、我慢をする性格に多い。何も悪い事をしてなくて、運はどんどん落ちていく。こんな理不尽あるのか位。でも現に理不尽が世の中にはある。
長く生きていれば、理不尽な事にも何度も巡り会っている人も少なくはないと思う。現に自分も利用され騙される事も経験してきた。そこで、相手を念じるか、念じないかで、自分に帰る率も決まる。
ちなみに、自分は、一切念じず、除ける事をした。先に除ける。
自分に支障ある 生きてる念の中で、精神を病むのは、自分が生き霊になって行って、戻ってきた時なる。行ってなかったら、身体だけ痛める。
人とのトラブルになり精神を病むか、病まないのかは、そこの違いである。人を恨んで念じているのか、いないのかこれである。うつ病、、精神病になるのは、80%以上これと言い切る。なので、ご相談の時、精神を病まれている方もいる。その方には、人を憎む事は辞めないとと言っても、精神行ってしまうと、理解出来ずに、次々と人を憎む事ばかりになる。だからいつまでも、治らないのである。そこまで、とにかく 辛い経験をしたからとも、理解できるが、心の持ち方でこうも変わるのかと、思う。第二弾では、是非、人をかなりの恨みで思っては、結局自分に何も良い事帰ってこない事を伝えたい。逆にもっとおかしくなってしまうと言いたい。
だからこそ、人の事を気にして生きる物語から、早く足を抜いてもらい、周りに目を向けずに、自分に優しくして、自分をいたわる事を心掛けて欲しい。本日 嬉しそうに髪の毛を染めて 神社に見せに来てくださった方がいた。とても嬉しそうに笑っていた。髪の毛は、薄緑に輝いていた。茶色と薄緑で、、とても素敵だった。自分を楽しみたいと、話している姿は、少女のようだった。隣では旦那様が嬉しそうに写真を見せてくれた。
二人の後ろ姿は素敵だった。何を抱えている方なのか良く知ってるからこそ。嬉しそうに話されている姿に、涙が出そうになった。人を憎む心も、持ったことのある方だが、理解して、自分自身を変えるように楽しむ事を選んでいる。いつまでも、女性は少女のままでいられる人もいれば、鬼の形相になる人もいる。
年齢を重ねれば、それはもっと 良く現れる。年ではなく、心が表にでると言える。たった髪を変えただけで気分が変わる女性。人を恨む、憎む心より健康的である。他人軸で生きていない。自分軸で生きる。それだけで、精神を病む事は絶対にない。だって誰にも飛ばしてないからである。
念の一つは 外的要素。完璧人から思い切り来てしまうものはある。 これが、生き霊である。身体にでる。その後ろに色々とオプション付きがいる事は第一弾で少し伝えてある。
もう一つの念は、自分が誰かを恨んだ時に戻ってきて、精神を病む 生き霊である。体にはこず、精神病になる。
なんでどうして?と火元を見極める事が大切になる。が、どっちにせよ、心を、少し変えないとならない内容である。お祓いのみでなんとかなるとは限らない。、が、まずは、上の部分は消せる。その中にある、深い何かは、見極めないとならない。 複雑すぎて、入り組んで、なんだかわからなくなるが、最後は 自分軸に戻して、感謝の心も持ちつつ、人に優しく、自分に優しく。綺麗事だが、祓っただけでは解決にはならない。自分で帰ってきた場合は特にそうである。マッサージをしても治らないのは、根本的な事をやっていないからである。
複雑な事なのである。
自分に優しく 人に優しく。
K ピンクレンジャーまめつぶより
支離滅裂すみません。